正義と悪

こんばんは。

 

 

昨日は国民的アーティストの重大発表がありましたね。

ファンの方々はかなりのショックを受けたんじゃないかと思います。

 

熱心なファンじゃなくても少しの驚きと寂しい気持ちにもなりましたが一人の人としてやりたいことをやりたいと言う姿が輝いてました。

 

他のメンバーも受け入れたようで。

 

休止後もまたいつか見れたらなと言う気持ちです。

 

 

 

さて今回は『正義と悪』についてです。

 

 

もういろいろな本に書かれている通り、人それぞれに正義があり、その正義同士がぶつかり勝った方が世の中の正義になり負けた方が世の中の悪になると言うことですね。

 

 

それでは正義同士を尊重し合えばいいと思ってもそれは出来ないことですね。

 

 

何故ならば同じように『世界平和を実現したい』と思ったところでこの『世界平和』と言う定義がまた人それぞれあるからです。

 

 

例えば大国の考えでは自国が世界の警察になって管轄するみたいな世界平和を。

 

 

小国では皆が平等な世界平和を。

 

 

と、考えたときにもう対立が始まりそうですね。

 

 

大国は『世界平和になれ!』と各国に訴えたところで小国からしたら結局大国の下になると言うことを嫌いそれに反発します。

 

 

ここで出てくるのが『真の世界平和』と言う言葉ですね。

 

 

そしたらもはや『世界平和』対『真の世界平和』となりますね。

 

 

お互いの正義がかたちを変えて見事にぶつかりました。

 

 

お互いの正義が重なったとしても価値観や時代、そして欲により邪魔されます。

 

 

このようなことを考えているときにこんな言葉を見ました。

 

 

人がお腹をすかしているときに食べ物を分け与えるのは絶対的な正義と。

誰がやっても正義と言う認識になると。

 

 

確かにそう思う一方でこれも細かい設定をすると必ずしも正義にならないなと言う思いもあります。

 

 

こんなこといい始めると無限に出てくる気がするのであまり言いませんが。

 

 

とにかく勝ったものが正義で負けたものは悪になる。

これはその通りでしょう。

 

 

有名な独裁者だって自分の国、自分の民族のことを思いすぎるあまりの行動なのだったのかなと。

 

 

弾圧された人々の悲しみや怒りは一旦考えずに本当に正義と悪だけの話としてします。

 

 

大量虐殺した独裁者、それは民族を守り、国を強くするために。

その正義のもと、実行した。

 

 

当然、虐殺は悪と言う見方がこの世では大半でしょう。

 

 

独裁者を悪とする正義が動き出します。

 

 

独裁者の正義を指示する勢力対それを悪とする正義の勢力で後者が勝ちました。

 

 

結果、独裁者が悪になっただけです。

 

 

仮にこの独裁者が勝っていればその民族、国が世界上に立ち、反映し、英雄として讃えられたかもしれません。

 

 

その後、世界はこの独裁者の仕方を見習い他民族を虐殺し追い出す政策を取っていたかもしれません。

 

 

それが正義になって。

 

 

正義と悪とはそれほど簡単に変わるのです。

 

 

国同士、与野党同士、友達同士、家族同士も全て同じでしょう。

 

 

人を殺すことを正義とするのは間違っていると言う人もいるかもしれませんがそれもその人の正義なのでしょう。

 

 

それぞれの正義に善悪をつけるのは恐らく誰にも出来ないでしょう。

 

 

且つお互いを尊重することもまた難しいことでしょう。