初の異文化交流の想像

こんばんは。

月がとても綺麗ですね。

月明かりだけでこんなにも夜が明るく思えるとは。

 

 

さて、今回は『初の異文化交流の想像』と言うタイトルです。

どんなタイトルにしようか迷ったのですがこのようなわかりにくいタイトルになってしまいました。

 

 

簡単に言えば、一番最初の、何もわかっていない状態でいきなり他言語を話す人が来たら?

と言うことです。

 

 

前の記事に書きましたが、そこの島に住んでいる人以外はその民族の言葉を話せない。

逆もしかりでその民族は誰も他言語を話せない。

 

 

このような状況の時、どんな風にコミュニケーションを取っていたのでしょうか?

この想像になります。

 

 

鎖国を終わらせるときには英語ができる日本人が。

戦国時代に来た南蛮の人はカタコトですが日本語を話していたと。

もっと昔の時代にも今で言う中国と書簡を交換し合ったりといったいいつからお互いの言葉を理解しあっているのでしょうか。

 

 

日本語の手が英語でhandと言うのもわからず、ましてやアルファベットなども当然知らずにどのように言語交流の第一歩を踏み出したのでしょうか?

 

 

お互い指差しながらジェスチャーで教え合いと言うのが一番しっくりきますね。

現実的です。

 

 

が、もしかしたら最初に間違った認識でお互い学んでたかもしれないと言う考えも出てきました。

 

 

handと言う単語が本当に手なのか。

大袈裟に言うとこのようになります。

学校で習うフレーズを本場では使わないみたいな感じですね。

 

 

今の時代、外国へ行っても単語とジェスチャーだけで何とかなる場合も多いですよね。

それがその単語すらもわからないと何もわかりません。

 

 

その状態で言葉の翻訳をし合って果たしてあっているのかどうか。

 

 

ここが疑問だったのですね。

 

 

恐らく、最初はやはり間違いばかりだったのでしょう。

handは手なのか指なのか腕なのか。

このような議論を全く通じない言葉通しでやるのは想像を絶する程難しく、しんどかったものだと思います。

 

 

そこから何人もの努力のおかげで改善に改善を重ね今に至るのでしょうか。

 

 

誰も通じなければ今も通じない世の中だとしてもそこまで不思議ではないはずだと思います。

 

 

どのようにそれぞれの言葉の交流をしてきたのか常に疑問に思っていたので書きました。

 

 

こんな夜中に書いたので文章滅茶苦茶だとは思いますがお気になさらず。