人生の主人公は誰?

おはようございます。

寒い日が続きますね。

体調を崩さないように1日を乗りきりましょう。

 

 

昨日女子テニスで嬉しいニュースがありましたね。

ずっと見ていました。

おめでとうございます。

 

 

さて今回は『人生の主人公は誰?』と言うタイトルで書きたいと思います。

 

 

この問い、浮かんだことはあるが真剣に考えたことがないと言う人もいるのではないかと思います。

 

 

だって答えはわかってますもんね。

 

 

自分です。

 

 

(別の答えを持ってらっしゃる方はすいません。

その答えにはたどり着けなかったので是非教えていただきたいです。)

 

 

当たり前だからこそ考えないんじゃないかと。

 

 

私はそう思ってます。

 

 

私は幼い頃この答えにたどり着きました。

その時の問いは『人生の主人公は誰?』と言う問いではなかったのですが。

 

 

当時、私は寝ることに関してある疑問を持っていました。

 

 

『自分の睡眠は一瞬で終わるのに自分が起きているときの人の睡眠は長いな』と。

 

 

不思議な感覚でしたね。

 

 

隣で寝てる家族は眠りに落ちれば一瞬で起きるはずなのに起きない。

 

 

ではこの人の時間はどこでどのように過ごしているのか。

 

 

私が朝を迎えるまでこの人はどこに行っているのか。

 

 

そして私が寝てる一瞬の時間を世界中の人はどうやって過ごしているのか。

 

 

たった一瞬しかないのに。

 

 

そのように考えました。

 

 

子供は色んなことを疑問に思いますね。

 

 

そこで気づいたのが

 

 

『この世界は自分を中心に時間が過ぎていくのか』

 

 

と言うことです。

 

 

同じように他人は他人でその人が中心になって時間が過ぎていくと。

 

 

さすがに私がこの世界の中心と言ったところで他の人の時間まで私中心に回ると言うのは馬鹿馬鹿しいですもんね。

 

 

他人からすればその人の睡眠は一瞬ですがその人が寝ている間の私の行動はしっかりとあると。

 

 

今まさに誰かと同じ景色を見てもそれは感じ方が違うんだろなとも思ったり。

 

 

人それぞれ役割は違うでしょうがみんなそれぞれの人生の主人公なんですよね。

 

 

主人公だからと言って漫画や映画のように強くあれなんて綺麗事は言いたくはありませんが、これを機に、今まで考えたことのなかった人は少しでも考える時間を取ってくれると嬉しいです。

 

 

独り言のブログにしようと思ったのに押し付けてしまいました。

全然しなくても大丈夫なので。

 

 

読んでくださりありがとうございました。

地震

こんにちは。

 

 

前回は『地震予知』について書いたんで今回は地震そのものについて書きたいと思います。

 

 

知識はないので地震についてつらつらと書くわけではないです。

地震について思うことをただ書いていきます。

 

 

地震とはプレートがぶつかりあっておきると言われてますがもちろんプレートなど見たこともなく。

 

 

そもそもプレートって掘ったら見えるのでしょうか?

コンクリートの塊みたいなもの?

 

 

大きすぎて人間ではわからなさそうですね。

 

 

地球を覆っている様々なプレートがジグソーパズルみたいになっておりそれぞれの向きに動くのでそれがぶつかるから地面が揺れると。

 

 

毎年二センチ~二〇センチ動くと。

 

 

この説明、地球がジグソーパズルみたいって言い方が物凄いロマンが感じられました。

 

 

また秘めた地球の姿が浮かんできそうです。

 

 

さて、この地震ですが世界には二つの大きな造山帯がありますよね。

この二つの内の一つに日本が丸々入っているので地震が多いのは仕方ないとは思います。

 

 

それにしては大きい地震が日本で多い気がします。

 

 

世界で大きな地震が起きているのはわかっていますが頻度が違うような気がします。

 

 

と思ってましたが調べると昔にアラスカで立て続けに大地震が起こったりしていました。

 

 

こんなことを考えていると今は日本の番なのかなと思ったり。

 

 

それとも今日日本で起こった震度5弱や4の地震は頻繁に起こっているのか。

 

 

メディアは大きすぎる地震しか当然取り上げませんから知らないだけでかなりの地震が起きていると思います。

 

 

南米のチリやインドネシアとか多いイメージですね。

 

 

逆に造山帯に入っているアメリカ西部は少ないイメージですが私が知らないだけなのかも。

 

 

地震は地球が生きている証拠』とは理解しようとしているのですがやっぱり怖いですね。

 

 

地震そのものが無くなると地球が死んでしまうんですよね。

 

 

地震が起こることによって私たちは生きていられると考えるのは地震大国の我々にとってはあまりにも遠い話ですね。

地震予知

こんばんは。

少しサボってました。

 

 

また定期的に更新していきたいと思います。

 

 

そしてまた突然消えるかもしれませんが。

 

 

新年明けましておめでとうございます。

平成のラスト駆け抜けていきましょう。

 

 

さて、今回は『地震予知』についてです。

 

 

動物はこの地震予知に優れてるとよく聞きますよね。

いち早く感知してすぐ逃げたりします。

 

 

この動物の動きで助かったと言う人もいます。

スマトラ島地震の時の取材でまわりの動物の異変で慌てて逃げたら津波から助かったと。

 

 

この能力は何なのでしょうか。

 

 

わずかな地球の異変をどのように感じるのでしょうか。

 

 

この地震予知、人間にもわずかながら感知する人がいるみたいですね。

 

 

私も聞いたことがあります。

 

 

地震の前に体がそわそわしたり、何か異変を訴えるそうです。

 

 

それが本当ならばその人が特別ではなく、元々人間も他の動物と同じようにその能力はあったのではないかと思います。

 

 

それが今では退化してるが一部の人間にはまだかすかに残っているだけだと。

 

 

地震が起きる造山帯で育ち、そこから移住することなく子孫を繋いでた人類だけ残っているのではないのでしょうか。

 

 

もし仮にその能力が育まれるのならば日本人は直ぐ様訓練した方がいいですね。

 

 

した方がいいと言うよりかはしなければならないですね。

と言うかしたいです。

 

 

緊急地震速報もありますが揺れてから鳴る場合もありますしやっぱりまだまだ安心できません。

 

 

確実に地震がわかる能力、これがあるだけでかなりの安心感もつくでしょう。

ディアトロフ峠事件

こんばんは。

これからやっと本格的に寒くなるそうですね。

体調にはお気をつけください。

 

 

さて、今回はロシアで実際に起こった『ディアトロフ峠事件』についてです。

 

 

先日、テレビをつけたらこの事件について放送していました。

 

 

約60年程前のお話ですが非常に興味深く久しぶりにテレビを集中して見ました。

 

 

この事件、今の世では検索すると簡単にどのような事件かは出てくるのでここでは簡単に説明します。

 

 

雪山の中を山頂を目指して登山していた若者十人。

この内一人だけは途中で離脱します。

足や腰が痛くなったとのこと。

 

 

この若者たち全員が登山のプロフェッショナルだったみたいです。

変わりやすい山の天候もしっかりと予測し、計画も立て、順調に山頂へ進んでいきました。

 

 

このプロフェッショナル全員(九人)が数日後亡くなると言う事件が起きます。

 

 

これが『ディアトロフ峠事件』と呼ばれるものです。

 

 

何故これが今もなお注目を浴びるかと言うと、その亡くなり方にあります。

 

 

なんとこの登山のプロフェッショナルたちにも関わらず、全員が靴を履かずに、さらに途中で上着を脱ぎ、三地点のバラバラのとこで亡くなっていたのです。

 

 

皮膚は黒ずみ、髪は白くなり、一人の方は舌が無い状態でした。

 

 

九人のうち六人が凍死。

三人が体をひどく損傷する出血死みたいです。

 

 

テントは内側から破られていたみたいです。

 

 

この亡くなり方に疑問を持った捜査本部の長はあらゆる説を調べようと奮闘しますがある日突然捜査を打ち切りにします。

 

 

『未知の力による不自然死』のようなニュアンスを世に公表してその事件の捜査を終わらせてしまいました。

 

 

後にこれは当時のソ連の圧力があったと言うのです。

 

 

と言うのも、亡くなった若者たちの衣服から通常の二倍ほどの放射線が検出されたのです。

近くに核実験施設があったこともあり、核実験の失敗によるパニック説を考えたのです。

 

 

核ミサイルが若者たちのテントの近くで爆発。

その光で視力を奪われ、混乱し、そのままの姿で外へ駆け出したと。

 

 

それなら皮膚が黒ずんだことや白髪になったことが説明つくと。

 

 

しかしそれを隠そうと思ったソ連がその説が表に出る前に闇に葬り去ったらしいのです。

 

 

(しかしその後に、仮に核実験の失敗によるものなら通常の数十倍は放射線を浴びると専門家に言われこの説はないことがわかります。)

 

 

これでこの事件は永遠に闇の中かと思われましたが、最近になってアメリカのジャーナリストがこの事件に挑みます。

 

 

まずは今まででてきた説、新たにでてきた説全てを細かく再現したのです。

 

 

凶暴な動物に襲われてテントから急いで逃げた説。

そこに住んでいた先住民族に襲われて逃げた説。

核実験失敗説。

UFO説。

雪崩説。

などなど。

 

 

この説を全て徹底的に調べたときに一つの結論にたどり着いたと言うのです。

 

 

それは、

 

 

『全てあり得ない』

 

 

と言うものでした。

 

 

何を調べようがどこかで必ず矛盾が生じました。 

 

 

凶暴な動物や先住民族に襲われたと言う説はテントの中が一向に荒らされないので無し。

 

 

核実験失敗による説は先ほど記述した通りです。

 

 

UFO説はこの周辺では不思議な光の球の目撃情報が多く当初は有力な説だったみたいですがこれも無し。

(この説の否定が曖昧なので私はまだ確率があるのではないかと思います。)

 

 

最後に雪崩説です。

これはメンバーがテントを張ったところが風避けのための小さな丘のすぐそばだったからです。

しかし雪崩が起きるであろう高さには到底届かない大きさの丘なのでこれも無しと。

 

 

こうして全ての説が否定されまた闇に戻るのかと思いきや、気象学の専門家がある説を立てます。

 

 

それが『ヘアピン渦説』です。

 

 

私も初めて聞きましたし、恐らく知ってる人はごくわずかなんじゃないかと思います。

実際に世界でも滅多に起こらない、もしくは起こったとしても記録に残らないことが多いみたいです。

 

 

このヘアピン渦と言うのは強い風が丸い障害物(ここで言う風避けの丘)に当たると竜巻が発生するものです。

 

 

私も詳しくはよくわからないので詳しくはネットで調べてもらえるとありがたいです。

 

 

この発生した竜巻がテントの両側を数分毎に通過。

そのときの音は凄まじく、まるで頭の上を旅客機が飛ぶような音だとか。

 

 

さらにそれは超低周波音も伴うと。

これは人体に有害で、不安を煽ったり、パニックに陥りやすくするものです。

 

 

こんな状況の中、若者たちはパニックになり慌てて外に逃げ、テントに帰れなくなった者、崖から転落した者が出たのでしょう。

 

 

現代だからこそわかったこのヘアピン渦。

当初ならいかに山のプロフェッショナルでもひどく恐怖に覆われたことでしょう。

 

 

舌が無くなったのは顔が水に浸かっていて微生物に分解されたと。

 

 

体が黒ずみ、髪が白になったのはずっと直射日光を浴びてるから。

 

 

上着を脱いだのは矛盾脱衣と言う行動があるみたいです。

簡単に言うとこれは極寒の中にいると暑いと錯覚する現象らしいです。

 

 

こうしてこの『ヘアピン渦説』が一番の有力な説として現在では受け入れられています。

 

 

しかし、とは言ってもまだまだ疑問は残ります。

 

 

これほどの竜巻で足跡が消えなかったのか?

捜索隊はテントから続く足跡を見ています。

 

 

説が出る度に矛盾が生じるこの事件。

 

 

アメリカのジャーナリストも自信があるわけではないが現時点でもっとも可能性が低くないと言う理由でこの説を推しているのでしょう。

 

 

他にもまだまだ説が出てくるでしょう。

 

 

その度に矛盾点があり、また振り出しへ。

 

 

いつの日か私たちにも真相がわかる日が来るのでしょうか。

 

 

それとも、どのような目に遭って、どのように亡くなったのか。

これは九人だけにしかわからないのでしょうか。

生きる意味

こんにちは。

少しどんよりとした天気ですね。

久しぶりに雨が続いたような気がします。

 

 

さて、今回は『生きる意味』についてです。

 

 

これも人間一人一人の最大のテーマと言っても過言ではないタイトルですよね。

 

 

みなさんも一度は考えたことあるのではないでしょうか?

 

 

『私は何故生きているのかな?』と。

 

 

実際、人間の生きる意味なんて人それぞれでしょう。

 

 

やりことを死ぬまでやり続ける。

幸せな家庭を持つ。

大きな野望を成し遂げる。

大金持ちになる。

歴史に名を残す。

のんびり幸せを見つける。

 

 

などなど、人の数だけあると思います。

 

 

そこで、私が一番印象を受け、今の私の生きる意味になっている言葉を紹介したいと思います。

 

 

ある本に書かれていた言葉です。

 

 

『人はちゃんと死んでいくために生きている』

 

 

と言う言葉です。

 

 

筆者の言いたいことを完全に解釈出来ているわけではありませんが私なりに解釈し、それが深く胸に刺さりました。

 

 

つまり、先ほどの人それぞれの生きる意味の最大のゴールですね。

 

 

生きる意味とは人それぞれですが、人類の生きる意味ではちゃんと死ぬことが生きる意味になるのではないでしょうか。

 

 

最大のゴールはちゃんと死ぬこと。

ではそのために何をするのか。

 

 

そこで先ほどのいろいろな目標が個人の間で出てくるわけです。

 

 

どんな目標でも、人生やりきったらみんなしっかりと生きてきたと胸を張って死んでいけるでしょう。

 

 

ずっと遊んでいたけど楽しかった。

子供や孫に恵まれて楽しい日々を送れた。

世界を変えた。

大金持ちになった。

歴史に名を刻んだ。

ただのんびり過ごしたがそれはそれですごく幸せだった。

 

 

これで満足して死ねたら人としてちゃんと死ねたとなるのではないでしょうか。

 

 

そこに早いも遅いもなく。

 

 

 

若くして人生最高に駆け抜けてなくなる人と、人生だらだら後悔の連続で生き続ける人。

 

 

それも全て人それぞれです。

 

 

ただ、ちゃんと死ぬにはやはり後悔のないよう、『あー、人生楽しかったな』と笑顔で胸を張って死ねるようにしっかりと今後も生きていきたいと思います。

一般人が行けないところ

みなさん、こんばんは。

もうおはようございますですね。

十二月になったものの、気温はまだまだ暖かいですね。

気温差で体調崩さないようにしましょう。

 

 

さて、今回は『一般人が行けないところ』についてです。

 

 

これもまたタイトルがざっくりしすぎてますね。

 

 

これを書こうと思ったきっかけは

『そもそも行けないところがあるのがおかしくないのかな?』

とふと思ったからです。

 

 

と言うのも、この偉大な地球、誰のものでもない地球に何故行けないところが存在するのかが理解しかねます。

 

 

それは日本で言うと軍事基地になっている島だとかですね。

 

 

世界的に見ても軍事のための場所が多いように思えます。

 

 

そこに入るともちろん問題視されますよね?

 

 

『誰の許可を得てここに入ったのか』

と問い詰められるでしょうがこちらが言いたいのは

『誰の許可を得てここを入れなくしているのか』

ですね。

 

 

山もいい例です。

 

 

入山規制などですね。

山まで所有物と言うのがどうしても引っ掛かります。

 

 

自然なものを個人が持つと言う行為。

 

 

領土、領海、領空についても同じことが言えると思います。

 

 

この地球に

『ここがこの国のもの』

と決めるのは何かもやもやする気持ちです。

 

 

もちろん、これらがなければ恐らくもっとひどい国際問題が多発するかもしれません。

 

 

それでもこの地球は大金持ちの人のものでもなく、国のものでもなく、ましてや人類だけのものでもないのです。

 

 

住まわしてもらっているんでみんなで仲良く共有しましょう。

とはならないんですよね。昔から。

 

 

誰かが独占したいから。

 

 

誰かがこの場所を荒らすから。

 

 

それぞれいろいろな理由があるとは思いますがとりあえず言いたいのは軍事で立ち入れなくなるのは納得できませんね。

 

 

地球に産まれた一生物としてこの世のあらゆるものを見る自由があると思うのです。

文明の急な発達

こんにちは。

いい天気の日曜日ですね。

清々しいです。

今日も空が海に見えます。

 

 

さて今回は『文明の急な発達』についてです。

 

 

もっといいタイトルにしたかったのですが全然浮かばなかったのでこのままにしました。

 

 

ここで言いたいのは文明の急な発達は何か世界の終わりを助長してるのではないかと思うことです。

 

 

と言うのも人類が誕生してからかなりの年月が流れていますがここ数十年で一気に進化しすぎではないでしょうか。

 

 

まぁ産業革命以降、必死に技術者が技術開発に取り組んできた成果だとは思います。

たくさんの失敗を重ねて、成功し、それをまた次の世代が進化させて。

 

 

このようなサイクルで今の世みたいに便利で快適な世の中になったのでしょう。

 

 

素晴らしいことですね。

先人たちに感謝しなければなりません。

 

 

一方で、あまりにも今急速に進みすぎてて何か偉大な力が人類を終わらせるために早送りしてるんではないかとの想像も浮かんできました。

 

 

人類が誕生してから何故このタイミングで一気にここまできたのでしょうか。

 

 

もっと前の時代にこのようなことがあってもいいし、前の時代の生活のまま今の時代に進んでもいいですし。

 

 

と、ふと思った次第であります。

 

 

便利な反面、環境汚染や環境破壊、生態系の変化などをもたらした人類は必ず滅ぶか滅ぶに値するぐらいのダメージは受けるでしょう。

 

 

ただそれを得たいの知れない人類の到底届かない大きな力が早めているだけだと思うのです。

 

 

大した記事にはなっていませんがこの世の急激な進化を考えたときにこのような面白い説が浮かんだので残しておきます。

 

 

この変化を怖いと感じた晴れの日でした。