理想の自殺

こんばんは!

先程初めて⭐をつけてもらえました。

自己満足な記事ですが嬉しいものです。

 

さて、今回はロマンからちょい離れた話題で。

日本ではかなり深刻な社会問題の『自殺』についてです。

私自身、電車の先頭車両に乗っていたときに踏切で人が飛び込み、見てはいないですけどあの衝突音はなんとも言えない気持ち悪さがありました。

年間およそ三万人。

報道をみるときはほとんどが若者です。

この『自殺』について私なりの率直な考えを書いていきたいと思います。

反対意見などあるとは思いますが一個人の意見として参考程度にご覧ください。

 

自殺とは今となれば社会問題として扱われていますが、私としてはこれは日本の文化なんじゃないかと思っています。

もちろん良い意味ではないですが昔から日本にあったものなんじゃないかと。

と言うのも戦国時代にあった切腹

戦争の時代にあった自決。

このようなものの延長線上なんじゃないかと。

昔は自分の責任を死で償う、これは今でもたまにあることですよね。

ですが今は生きづらい世の中、つまりいじめや息苦しさ、未来への希望がないなどこのような面から社会問題として扱っているのでしょう。

 

あとは今の人は『自分が死ねばまわりが変わる』とか『死んで向こうにも迷惑をかけてやる』とかもしかしたら思ってるかもしれませんが向こうが変わることはほぼないでしょう。

 

このような自殺をなくす努力をしてる方は恐らくたくさんいるでしょう。

その活動は素晴らしいです。

実際にそこで救われている人もたくさんいるでしょう。

しかしもはや手遅れで死ぬことしか考えていない人もいます。

本当に希望がない人もいるかもしれません。

数々の絶望と共に想像を絶する人生を歩んできたかもしれません。

そんな人に『生きていればいいことが必ずある』とは私にはとても言えません。

 

かと言って私も自殺推奨派ではないです。

できればやめてほしいと思う人ですが相当の覚悟がある人は止めることが出来ないと言うのが本音であります。

そんなときに私が考える『理想の自殺』を話します。

単純に金が尽きるまで何もかも投げ出して思い切り遊ぶことです。

そのあとに自殺します。

これを思ったのは二人の知り合いを連続で亡くしたときのこと。

一人は自殺ではありませんが『人生楽しんでいたが急死』、もう一方は『社会に揉まれ鬱状態で自殺』。

この二人のお通夜に参加したのですが明らかに顔が違ってました。

やはり人生楽しんでいた人は顔が笑っているように見えたし、鬱の人は顔が暗かったように思えました。

社会人なら働いた分のお金があるはず。

死ぬまでにおもいっきりしたいことをしたら良いと思います。

 

最後の思い出が嫌な思い出だとやはり嫌でしょう。

棺桶に入ったあとでもそれは顕著に表れます。

 

これが私の理想の自殺論ですがやはり追い込まれている人はそこまで考えれないと言うのが現実ですよね。

子供のいじめでの自殺なんて相当難しい問題だとも思います。

 

人はいつか必ず死にます。

それが遅かれ早かれ、自然に死ぬのか自分で死を選ぶのかそれは本当に人それぞれです。

ですがみんなが棺桶に入るときその顔が少しでも微笑んでいるように見えるように最後ぐらいは足掻いて楽しんでみましょう。

 

無茶苦茶な文で申し訳ないですがただの独り言として書いてるので勘弁してくださいね。