結婚式

結婚式で一つ疑問があるのですがあの『誓い』って誰が誰に誓っているのかなと。

 

 

そりゃ教会でも神社でも神様だろうと思うのですが信者以外行う意味はあるのかなと。

 

 

しかもこんなに離婚率が多いと言われる日本でそのような形だけ、口だけの誓いをする意味はあるのかと疑問に思いました。

 

 

これから生涯をかけて幸せにしますか?との誓いなんて夫婦になると決めた二人の秘密の誓いでいいでしょう。

 

 

と言ったところで結婚式そのものをしたいと思う人が多いですもんね。

 

 

それならそれで全然いいと思います。

 

 

神様はこの誓いを破った人たちに特に罰則を与えるわけでもなく。

 

 

と、ふと疑問に思った結婚式での誓いの話でした。

店員こそ神様

と思ったことはありませんか?

 

 

『お客様は神様だ』と言うお店側の気持ちは当然わかります。

 

 

お客様が来てくれて商品に対しお金を払う。

これで経営が成り立つのならばお客様は神様のように思えるでしょう。

 

 

お店側はそれと同時に働いてくれている店員にも敬意を払いたいところですね。

 

 

その人たちがいなければお店が回らないところは尚更です。

 

 

敬意を払わずにいると従業員は離れていくでしょう。

すると残った従業員が苦しくなります。

そしてまた一人と去っていく悪循環が出来上がることでしょう。

 

 

と、ここまでお店側として当たり前のことを書きましたがここからお客目線にします。

 

 

私がふとコンビニに行ったり飲食店に行ったり、カラオケやボーリング、遊園地などの遊び場に行ったときに思うのです。

 

 

『この人たちがいないとこのような便利な生活はないんだな』と。

 

 

それからと言うもの極力店員にはこちらからもありがとうを言うように心がけています。

 

 

どこの店員も今私の欲しいものを供給してくださる神様のような方ですね。

 

 

お店側は当然『我々の商品を買っていただいてありがとうございます』と思っているでしょうがこちらも『私の欲しいものを売ってくださってありがとうございます』との気持ちなのです。

 

 

働いている方にはいつもご苦労様ですと心の中でボソッと思っています。

第六感?

こんばんは。

そろそろ桜が咲き始めますね。

新年度も楽しみましょう。

 

 

さて、今日パッと目に入ったのですが第六感を発見か?と言うニュースを見ました。

 

 

あまり詳しく読んでないんですがなんでも磁力を感じると。

 

 

この前の地震予知で書いた地球の異変を察知する人とかでしょうか。

 

 

イメージでは体がパリパリと何かを感じるとか?

全くその力がないのでさっぱりわかりませんが。

 

 

元々あったが退化して今はない。

私の前の記事ではそうとも書いてましたがそれも一応言われているそうですね。

 

 

では例えあったとしてもそれはほんの一部の人間しか持ててないのでしょう。

 

 

そしてそれを再び鍛えることも難しいでしょう。

 

 

結構想像だけで書いてますが証明されていることを想像しても面白くないですね。

 

 

もっと映画にできるようなロマンチックな想像をしてみたいです。

 

 

例えば第20感まであるとか。

 

 

想像出来たところで私には証明のしようがないんですがね。

 

病は気から

こんばんは。

 

 

インフルエンザが大流行してますね。

 

 

そこでこんな記事を。

 

 

『病は気から』

 

 

誰でも知ってるこの言葉。

 

 

これは本当だと思います。

 

 

でもインフルエンザに感染するとかの問題ではこれは使えないと思いますが。

 

 

と言うのも私は予防接種、外出から帰ったあとの手荒い、うがいをやった年にかかり、全く何もしない年にかからなかったりともはや運ではないのかなと思うようになりました。

 

 

あ、でも常日頃から『インフルエンザにかからない!インフルエンザにかからない!』と強く思っていればもしかしたらかからないかもしれませんね。

 

 

今年も全くかかる気配のない私です。

それもそのはず、インフルエンザにかかる私が今は全く想像できないのです。

 

 

私の気は完全に病を無視しています。

 

 

言いたいことと少し話がそれました。

 

 

病は気からの実体験を少し。

 

 

熱が出た日、バラエティー番組を見て大爆笑したら熱がすぐに下がる。

 

 

もう気がテンション上がって熱なんてどこへやら。

 

 

ウィルスが気に着いていけないんですね。

 

 

逆の場合もあります。

 

 

学校などが嫌なときは自分は今しんどい、熱があると言いきかせると本当にしんどくなってきます。

熱はさすがにコントロールできませんが。

 

 

少し体に異変を感じたときにあまり気にしなければなんともありませんが、深く考えるとだんだんしんどくなる場合があります。

 

 

私個人の意見です。

 

 

ウィルスは特にそれを無視して侵入して考える間もなく暴れてくるのでまだ実証したことはないですが。

 

 

とにかく私が体調不良に陥ったときはまず寝ます。

 

 

そして体力を回復して病原体を体のいいやつたちがやっつけるイメージをします。

 

 

これで基本治ります。

 

 

水をよく飲んで尿で悪いやつたちが出ていってる想像でもいいです。

 

 

体の悪いやつたちといい水分とを交換するイメージ。

 

 

変な人と思わないでください。

 

 

結構効果あります!

 

 

病は気から。

 

 

お試しあれ!

絶対休めないあなたへ

ってCMあるじゃないですか?

 

 

あれっておかしくないですか?

 

 

休めないんですか?

 

 

体調悪くても仕事ですか。

 

 

あれこそCMおかしいと思うべきではと思ったり。

 

 

まぁどんな状況でも頑張ると言うのが日本の美学ならもう仕方ないですね。

正義と悪

こんばんは。

 

 

昨日は国民的アーティストの重大発表がありましたね。

ファンの方々はかなりのショックを受けたんじゃないかと思います。

 

熱心なファンじゃなくても少しの驚きと寂しい気持ちにもなりましたが一人の人としてやりたいことをやりたいと言う姿が輝いてました。

 

他のメンバーも受け入れたようで。

 

休止後もまたいつか見れたらなと言う気持ちです。

 

 

 

さて今回は『正義と悪』についてです。

 

 

もういろいろな本に書かれている通り、人それぞれに正義があり、その正義同士がぶつかり勝った方が世の中の正義になり負けた方が世の中の悪になると言うことですね。

 

 

それでは正義同士を尊重し合えばいいと思ってもそれは出来ないことですね。

 

 

何故ならば同じように『世界平和を実現したい』と思ったところでこの『世界平和』と言う定義がまた人それぞれあるからです。

 

 

例えば大国の考えでは自国が世界の警察になって管轄するみたいな世界平和を。

 

 

小国では皆が平等な世界平和を。

 

 

と、考えたときにもう対立が始まりそうですね。

 

 

大国は『世界平和になれ!』と各国に訴えたところで小国からしたら結局大国の下になると言うことを嫌いそれに反発します。

 

 

ここで出てくるのが『真の世界平和』と言う言葉ですね。

 

 

そしたらもはや『世界平和』対『真の世界平和』となりますね。

 

 

お互いの正義がかたちを変えて見事にぶつかりました。

 

 

お互いの正義が重なったとしても価値観や時代、そして欲により邪魔されます。

 

 

このようなことを考えているときにこんな言葉を見ました。

 

 

人がお腹をすかしているときに食べ物を分け与えるのは絶対的な正義と。

誰がやっても正義と言う認識になると。

 

 

確かにそう思う一方でこれも細かい設定をすると必ずしも正義にならないなと言う思いもあります。

 

 

こんなこといい始めると無限に出てくる気がするのであまり言いませんが。

 

 

とにかく勝ったものが正義で負けたものは悪になる。

これはその通りでしょう。

 

 

有名な独裁者だって自分の国、自分の民族のことを思いすぎるあまりの行動なのだったのかなと。

 

 

弾圧された人々の悲しみや怒りは一旦考えずに本当に正義と悪だけの話としてします。

 

 

大量虐殺した独裁者、それは民族を守り、国を強くするために。

その正義のもと、実行した。

 

 

当然、虐殺は悪と言う見方がこの世では大半でしょう。

 

 

独裁者を悪とする正義が動き出します。

 

 

独裁者の正義を指示する勢力対それを悪とする正義の勢力で後者が勝ちました。

 

 

結果、独裁者が悪になっただけです。

 

 

仮にこの独裁者が勝っていればその民族、国が世界上に立ち、反映し、英雄として讃えられたかもしれません。

 

 

その後、世界はこの独裁者の仕方を見習い他民族を虐殺し追い出す政策を取っていたかもしれません。

 

 

それが正義になって。

 

 

正義と悪とはそれほど簡単に変わるのです。

 

 

国同士、与野党同士、友達同士、家族同士も全て同じでしょう。

 

 

人を殺すことを正義とするのは間違っていると言う人もいるかもしれませんがそれもその人の正義なのでしょう。

 

 

それぞれの正義に善悪をつけるのは恐らく誰にも出来ないでしょう。

 

 

且つお互いを尊重することもまた難しいことでしょう。

地球の治癒能力

こんばんは。

 

 

今回は『地球の治癒能力』についてです。

 

 

突然ですが、私たちが皮膚に傷を負ったとき体はどうなるでしょうか。

 

 

全力で体はその傷を治そうとしますよね。

 

 

血が出たら止血しようと動き、また時間をかけて血が作られます。

 

 

再生能力が凄いですよね。

 

 

人間をはじめ、生物は基本的にこのような再生能力があるでしょう。

 

 

しっぽがちぎれてもはえてきたり。

 

 

このようなことを考えたとき、ちょうど地球にも同じ能力があると言うのを知人から聞きました。

 

 

地球を一つの生命体と考えたら当然の能力です。

 

 

地球が汚され、怪我を負わされ、呼吸が困難になってくるならば地球にも元に戻ろうとする力が働くでしょう。

 

 

それがどのように働くかはわかりません。

 

 

今の地球からすれば私たち人間はカビのような存在でしょう。

 

 

人間を滅ぼすのか、滅ぼすに値するぐらいの大ダメージを与えるのか。

 

 

それは自然の力が働いて人類を襲うのか、はたまた私たちが考えようのないような何か未知の力が働いて襲うのか。

 

 

例えば核戦争を起こすように時間を進めていくとか。

 

 

とは言え核戦争すると地球が余計に汚されますね。

 

 

どのように動くかは全くよめませんし、今が地球にとってどれだけ傷ついているのかもわかりませんがそれはいずれ来るかと思います。

 

 

それをわかっていながら世界は今もなお汚染に突き進んでいきますもんね。

 

 

未来より今の利益。

 

 

わからなくもないですが地球の治癒能力を直に受けるのはランダムで罰ゲームを受けるぐらいの運に任せることになりそうです。